水野氏と池鯉鮒大明神

戦国時代、刈谷の城主だった水野氏は織田家・徳川家とも関係が深く、徳川家康公の母お大の方は水野忠重公の姉にあたります。水野氏は元々知多半島の出身で、父祖の貞守の代には、刈谷から衣浦湾をはさんだ対岸の小河(現東浦町緒川)に城を設けて、根拠としておりました。代々の家紋は菊水に一文字を使っておられたが、貞守ある戦の折に、早朝池鯉鮒大明神の霊夢を見て、お告げの通りに沢瀉(おもだか)の花を取って、味方の兜・鎧の袖の目印にしたところ、戦に大勝したとのことです。これを機に、家紋を池鯉鮒大明神の神縁深い沢瀉にあらためられ、その後戦国の世で出世をして、勝成公の時代には備後福山で10万石の大名となりました。
(『寛政重修諸家譜』より)


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